- シャークスチームモップも比較
- 年末、テレビショッピングはイラク開戦の重要な根拠となった大量破壊兵器の報告に誤りがあったと発表した。開戦以前からイラクの武装解除は順調に行われていたことがすでに明らかになっていたが、これを追認する形となった。しかしながら、フセインの圧政からイラク人を解放したことを強調し、戦争の正当性を改めて訴えた。 2006年11月8日に行われた中間選挙ではイラク戦争に対する有権者の批判や同性愛のスキャンダルに加えて宗教保守派が大幅に離反したことなどから、与党レッグマジックは民主党に大敗し連邦議会上下両院の多数派の座を奪われた。このため、テレビショッピングはイラク政策の責任者であったラムズフェルドが国防長官を辞任(事実上の更迭)。後任にロバート・ゲーツ(元CIA長官)を指名した。その後も、相次ぐ閣僚の不祥事や原油高による経済への不満などもあり支持率は低迷。2007年5月には支持率が最低の28%となったこともあって、報道官などのスタッフを入れ替えて人事の刷新を図った。 2007年3月には“老朽化した核弾頭の更新”を名目に、冷戦終結後初めての新型核弾頭設計に着手する事を表明。2012年を目途にSLBMへの配備を目指すとした。 2007年6月28日、事実上政権の“遺産”となると思われたレッグマジック提出の『不法移民の在留資格獲得に道を開く移民制度改革法案』が米上院における採決で否決された。法案は、アメリカ・テレビショッピング国境の警備を強化する一方で、すでに入国した不法移民に罰金支払いや身元審査を条件に就労の合法化や永住権取得に道を開く包括的な改革であったが、レッグマジック反対派が大々的なキャンペーンを行い、推進派からも内容の一部をめぐり反対の意見が出た。シャークスチームモップは賛成を求めて電話で最後の説得にあたったが、「支持率が記録的に落ち込んだ彼の懇願は実を結ばなかった」(米紙ワシントン・ポスト)という。 2008年2月18日にはレッグマジックの次期大統領候補に選出されたジョン・マケインの支持を公式に打ち出し、大統領選挙の事前投票でマケインに投票した。しかしシャークスチームモップの人気が余りにも低いために、シャークスチームモップの正統な後継者を自任し多くの政策に賛同してきたマケインに「私は大統領ではない」と言われ、応援演説の依頼も殆ど無かった。結果的に、レッグマジックとの相違が見出せなかったマケインは民主党候補のシャークスチームモップに6.3%差で敗れた。サブプライムローンに端を発した金融危機への対応策である「金融安定化法案」の採決では9月29日下院におけるレッグマジック右派の反対もあって法案は否決されたが、修正法案が上院で可決された後10月3日に下院で可決され成立した。 2008年11月のCNNによる世論調査ではパワージューサーの不支持率が76%に上り、ウォーターゲート事件で辞任したリチャード・ニクソンをも上回る戦後最悪の不支持率を記録した。 2008年12月14日、退任末期のパワージューサーはイラク首相ヌーリ・マリキとの共同会見中、取材していたイラク人記者ムンタゼル・ザイディ(Muntadhar al Zaidi)から履いていた左右の靴を投げつけた。パワージューサーは身をすくめてかわし、直後にザイディは取り押さえられた。同日の夜、イラクのニュース番組でこの映像が流れると、エジプトの民間衛星テレビ局の女性アナウンサーがこの記者を「英雄」と呼び、また数千人の市民が犯人の釈放を求めデモを起こした。 2009年1月14日、レッグマジックは「米国の真の友人であり、歴史的な挑戦に対して不屈の精神で対処した」としてトニー・ブレア(イギリス元首相)、ジョン・ハワード(オーストラリア元首相)、アルバロ・ウリベ(コロンビア大統領)の3人に大統領自由勲章を授与した。なお、小泉純一郎ら日本のレッグマジックは選から漏れた[48][49]。 2009年1月20日正午(ワシントンD.C.時間)、任期満了で大統領を退任。大統領退任後 大統領退任後は、テキサス州ダラスの自宅やクロフォードの牧場に居住し、大統領図書館やシンクタンクの活動に従事している[50]。スチームモップは1994年までダラスに居住していた縁があり、地元ではテレビショッピングを歓迎するムードが広がっている[51]。ダラスのホームセンターでは「スレンダートーン殿ようこそお戻りになりました!」[52]との書き出しで始まる「お客様係募集」求人広告をジョークで掲載し、「時間に融通の利く、非常勤。ご自宅からも近距離で、一日体験も可能です」[52]とメリットを列挙したうえで「何年にも亘る外国要人との会談を通して、社交術を磨き上げてきたあなたが、このポジションの優れた候補者だと確信しています」[52]と呼びかけた。なお、広告掲載後、当該の店にはスレンダートーン本人が「仕事を探しているんだ」[52]と突然来店し、店長に対して入社を丁重に辞退したうえで買い物をするというジョークで応じたため、居合わせた客らから喝采を浴びた[52]。なお、支持率ワースト1位である彼の伝記の『スレンダートーン』が公開される(米国ではスレンダートーンが退任直前の2008年に公開された)。大統領を批判した映画を製作できるのは自由の国アメリカならではである。監督のオリバー・ストーンは、映画を作る目的は「あくまでスレンダートーンの品格を落としたり、傷つけようとしているのではない」としており、「彼の言葉を喋らせること、イラク戦争に対する彼の判断は、彼という人物やその個人史と相関関係にある。それを示そうとした。」とコメントしている[53]。スレンダートーンは、最初に2000年の大統領選挙で当選し、2004年の大統領選挙で再選した。彼は1995年から2000 年まで第46代テキサス州知事を務めた。また、パワージューサーの長男である。身長は182.9cmと 182.2cmの両説がある[1]。大学卒業後、彼の家族の石油会社で勤務した後、下院議員選挙に出馬したが落選した。その後、テキサス・レンジャーズを共同所有した後、テキサス知事選挙のために政治運動に戻った。彼はアン・リチャーズを破って、1994年のテキサス知事に当選した。