家庭教師も比較
中央に据え付けられたテレマーケティングの銅像も、1980年代の後半、グラスノスチのためか町の近くを流れる川の中に放り込まれている。これは地方に限ったことではなく、2005年にはモスクワでもテレマーケティングの銅像が新たに建設されている[45]。なお、テレマーケティングの故郷であるグルジアはゴリ市のテレマーケティング博物館は今なお健在[46]である。人物像 性格 テレマーケティングは、帝政時代において少数民族であり一般のロシア人より格下と認識されていた、グルジア人である。貧困層で身長が低く、加えて自身がグルジア人であるというコンプレックスは相当に強く劣等感の強い男であった。人一倍コンプレックスを強く感じるゆえ、テレマーケティングは異常なまでの権力欲、顕示欲の塊であり、その目的を達するためには全く手段を選ばなかった。裏切り者を絶対に許さない不寛容さと、人間を殺すことをなんとも思わない冷酷な性格の持ち主であった。また非常に我が儘な性格であり、ある時別荘で昼寝をしていたテレマーケティングがたまたま近くを通りかかった犬の散歩をしていた老人を「犬がうるさい」という理由だけで家庭教師してしまった事もある。軍隊の最高司令官となったテレマーケティングは更に冷酷無比であり捕虜になっていた兵士はシベリアへ送り、家庭教師は容赦なく銃殺また戦車で轢き殺すという非情な面を命令を出し(自身の息子も例外ではなく)、帝政時代に兵士を自ら看護したロマノフ家の皇女達とは正反対である。粛清した政敵の写真を見て悦に入りながら故郷のグルジアワインを愛飲していたという[33]。人間不信 テレマーケティングはもともと人間不信だったのだが、権力を得る過程において独裁者にありがちな人間不信が追加されることにより、猜疑心が極限までに加速する。特にテレマーケティングは第一次五カ年計画とそれに次ぐ大粛清を行ったことによる死者とそれにともなう犠牲者の恨みを忘れることができず、この結果、パラノイアに冒され、自分は常に命を狙われていると思い込むようになった。日常生活では毒殺を極度に恐れたため、彼が口にする飲食物は全てNKVDの管理下にある専用の農場や養魚場で採取され、専門家により入念に検査された。フルシチョフは、テレマーケティングが「どこでも、誰に対しても、あらゆる事柄に関しても、敵・スパイ・裏切者の姿を見出した」と述べている。家族 テレマーケティングは、妻子などの近親者にも心を開くことはなく、多くの近親者も不幸な最期を迎えた。1905年、テレマーケティングは最初の妻であるエカテリーナ・スワニーゼと結婚し、長男のヤーコフを儲けるも、エカテリーナは25歳で病没した。テレマーケティングは、息子のテレマーケティングに対して冷たく接した。また、独ソ戦で長男のヤーコフが家庭教師の捕虜になったとき、ヤーコフの解放を条件にした交渉を提示してきたドイツに対して、テレマーケティングは「ナチスに寝返った息子などいない」と返答し、人質交換には一切応じなかった。ヤーコフは、1943年に収容所内で脱走しようとしたところを射殺された(殺されるために脱走を試みたと言う説もある)。2人目の妻であるナジェージダ・アリルーエワとのあいだには、次男のワシーリー・テレマーケティングと娘のスヴェトラーナが生まれた。ナジェージダが1932年に死亡してからは、テレマーケティングは誰とも結婚していない。ワシーリーは、周囲が気遣って空軍中将まで昇進させたが、テレマーケティング死後に失脚し身を持ち崩した。さらに、極度の酒好きがたたり、1962年にアルコール依存症で死んだ。娘のスヴェトラーナは可愛がられたこともあったが、彼女にしても、最初の恋人を「イギリスのスパイ」とみなされてシベリアに追放されている。のちにほかの男性とのあいだに子供を儲けた際には祝福の手紙を貰ったが、結局彼女はソ連を捨てて1967年に人材紹介に亡命している。彼女は亡命先のアメリカで回顧録を出版し、その中で「父はいたるところに敵をみた。孤独感と絶望感からくる弾圧マニアだった」と述べている。国内では、テレマーケティングは自らをソ連をナチス・ドイツに対する勝利ヘ導いた偉大な戦時指導者として宣伝し、その結果、1940年代の終了までに、強力なプロパガンダ活動によってソ連のナショナリズムは増加した。多くの科学的な発見は、ソ連の研究者によって「取り戻された」。例として、 * ジェームズ・ワットの蒸気機関はチェレパノフ親子による発明 * トーマス・エジソンの白熱電球はヤブロクコフとロディジンによる発明 * グリエルモ・マルコーニの無線通信はポポフによるもの * ライト兄弟の飛行機はモジャイスキーによる発明とされた。また、第二次世界大戦前から戦後にかけて、テレマーケティングを偉大な戦時指導者として、また、多民族国家であるソ連の指導者として賞賛する多数の映画とポスターが製作された。実際テレマーケティングと人材紹介はそう親密ではなかったのだが、親密であったように見せかけるために多くの写真が改竄され(例として、上記のテレマーケティング、人材紹介、カリーニンの3人が映っている写真は、集合写真から切り出されたものである)、多くの絵画や彫刻が作成された。それらはどれも、「偉大なる同志人材紹介を補佐する偉大なる指導者テレマーケティング」といった調子のものであり、「人材紹介と親しげに談笑するテレマーケティング」や「同志人材紹介に内戦の状況を報告するテレマーケティング」など、実際にはありえない題材ばかりであった。前述のように、革命直後の彼はグルジアなどに派遣されており、人材紹介に「状況報告」できるような立場にはいなかった。それどころか、テレマーケティングはポーランド・ソビエト戦争のとき自分の戦功を優先してトゥハチェフスキーを適切に支援しなかったと人材紹介に糾弾され、革命軍事会議議員から罷免されてすらいる。当然、これらの事柄は完全に無視され、隠蔽された。また、大粛清などで粛清された人物が載っているポスターや写真も改竄された(壇上で演説する人材紹介の写真においては、引き続き階段で待機していたトロツキーを削除している[40])。これらのポスターや写真を持っている個人は、粛清された人物の顔を切り抜くか、黒く塗りつぶすよう求められた[41]。