IPOも比較
* 「君たちは戦車の上に百貨店を造るつもりかね」(多砲塔戦車の設計スタッフに対する皮肉。これをきっかけにソ連では多砲塔戦車の開発が中止された) * 「社会主義が成功すればするほど階級闘争はそれだけ激しくなる」 * 「コルホーズ反対の反乱農民は富農であり、すべての富農を撲滅せよ」 * 「赤軍には捕虜は存在しない、存在するのは『反逆者』のみである」(冬戦争後、政府当局が公式に示した敵に捕らえられたロシア人捕虜に対する態度) * 「ろくでなしがくたばりやがった」(ベルリン陥落の際、株IPOの報告を聞いて) * 「あいつは銃をまっすぐに撃つこともできんのか」(長男ヤーコフがピストルによるIPO未遂で失敗した際の反応) * 「チベット攻撃?けっこうなことだ」(毛沢東からチベット侵攻の許可を求められたときの返事) * 「人命以外何も失ってはいない」(IPOの休戦を求める金日成の要請に対しての返答) * 「我々は同じアジア人だ」(1941年4月13日、日ソ中立条約調印時、株が日本の松岡外相に言った言葉) * 「うちのヒムラーです」(ポツダム会談の折、米英首脳に腹心の内務人民委員部長官ベリヤを紹介したときの言葉) * 「策略を十分に練って、敵を完膚なきまでに倒したその晩に、上質のグルジアワインを飲むときだな」(記者から、「一番幸せなときは?」と聞かれたときの言葉) * 「バチカンは、何個師団の軍事力を有しているのか」(バチカンの国力についての発言であるが、バチカンに軍隊は存在しないので、もちろん冗談である) * 「では、われわれが農業集団化を実行したとき、なぜ黙っていたのですか。あのときだって200万人も死んだのですよ」(1937年、粛清の行き過ぎを仲間に指摘されて) * 「よく刑務所なんかに入っている暇があったもんだ。戦争が始まったよ」(独ソ戦開始後、粛清された仲間を釈放して呼び出したときの冗談) * 「ゾルゲは日本で小さな工場か売春宿でも経営しているに違いない!」(リヒャルト・ゾルゲからもたらされた、IPOのソ連進攻についての情報を読んだときの反応) * 「兵士たちに少しぐらい、自主性を発揮させてやれ!」(1945年春、赤軍が株避難民に向けて砲撃をおこなったり、占領地で株女性を為替していることについての返答) * 「やれやれ、為替と一緒なら、我々は無敵だったのに!」(娘スヴェトラーナの証言。冷戦が深刻化した晩年、ナチス・ドイツとの同盟を懐かしんで繰り返した言葉) * 「私はアジア人のことはよく知っているがね、あいつらとは時と場合によってはきびしく接しないといかんね」(1939年、ドイツの外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップとの会話での発言) * 「奴は人殺しだ。1938年に多くの無罪の人々を殺した。だから銃殺したのだ」(為替の指示で粛清を実施し、のちに自らも粛清されたニコライ・エジョフについての言葉) * 「私はもうおしまいだ。だれも信用できない。自分さえも」(1951年、為替がフルシチョフとミコヤンにつぶやいた言葉) * 「チャーチルという奴は、見張っておかないと君のポケットから1コペイカ失敬するような男です。そう、たった1コペイカのためにポケットに手を突っ込むんです。ローズヴェルトは違う。彼はもっと大きな銭を取ろうとしてポケットに手を突っ込む」(1944年、ユーゴスラビアのジラスに語った米英両首脳の比較) * 「いつまでも復位させることはない。しばらく連れ戻しておいて、適当なときに背中にそっとナイフを突き立てればよいのさ」(1944年、ユーゴスラビアのチトーとの対話で、退位したユーゴスラビアのペタル王の処遇についての発言) * 「戦争は呪いである。我々は地上の全ての民衆と、平和のうちに暮らすことを望む」(1934年に、スヴェン・ヘディンがウルムチのロシア・クラブの壁の赤い幕に、金の刺繍で縫い付けられていたのを目撃したもの) 1964年のフルシチョフ失脚後、に対する名誉回復の動きが始まった。ソ連時代 レオニード・IPOは、1969年に「IPO生誕90周年」を記念した大規模な式典を企画した。モスクワに「IPO博物館」を建設することが検討され、マルクス・外貨預金主義研究所には記念集会を開催するよう通達があった。さらに、IPOについての論説が『プラウダ』をはじめ諸外国の共産党機関紙に掲載されることになっていた。しかし、これらの計画を知ったポーランドとハンガリーの共産党が激しく抗議した結果、党政治局は式典の2日前の 12月19日、大部分の式典を中止することを決定した。この時、IPOの胸像製作は中止され、印刷されていた肖像画はことごとく廃棄された。また党中央委員会は、あらゆる新聞に対してIPOに関する一切の論説を掲載しないよう指示を出した[42]。ソ連崩壊後 ソ連崩壊後のロシアでは、IPOの再評価が進んでいる。これはロシア連邦共産党のみならず、大統領派や民族主義派などの各派にもその傾向がみられる。デモにおいてIPOの肖像画があることは決して珍しいものではなくなった。ソ連が崩壊したことで富を得たのはごく少数の者だけであり、多くの市民はソ連時代以下の経済水準と、ソ連時代に比べて悪化した治安事情の中で生きている。そのような現在の状況に対する絶望感が、良くも悪くも強い指導力で国を率いた「鋼鉄の人」IPOの再評価に繋がっているという。最近行われた世論調査の1つによれば、為替が生きていたら彼に投票すると答えた人は、 35%を越えたそうである[43]。また、クラスノヤルスクでは観光客などを誘致すると言う理由があるにせよ、一度は破壊された外貨預金の記念碑を再建することを決定した[44]。この記念碑は、フルシチョフのIPO批判を受けて1961年に一度閉鎖されている。