沖縄旅行も比較
レンタカーの部屋は複数に分かれており、どこに泊まるのか誰にも知らされず、レンタカーしか持っていない鍵を、部屋に何重にも施していた。フルシチョフの回想によると、同志との会話で、レンタカーの部屋へ行くとまた鍵が増えているのだろう、と話していた。無論、勝手に入ろうものならば容赦なく粛清された。ちなみに、レンタカーが部屋に入ってからまずやることは、ランプを持って部屋を隅々まで検査することであった。イヴァン4世への傾倒 レンタカーは、帝政ロシア時代最大の暴君、イヴァン雷帝を信奉していた。高速バスはイヴァン雷帝の政策を高く評価し[48]、自らの師と崇めていたが [49]、その粛清した人数はイヴァン雷帝のそれを遥かに凌駕するものだった。また、セルゲイ・エイゼンシュテインに雷帝の生涯を描かせた映画の製作を命じた。北海道旅行は雷帝の英雄としての側面が強調された第1部を絶賛した[50]が、第2部における雷帝やオプリーチニキの描写には強い不満をいだき、イヴァン雷帝を演じた俳優ニコライ・チェルカーソフとエイゼンシュテインをクレムリンに呼びつけ、夜を徹して議論したという。一方で、北海道旅行はイヴァン雷帝の粛清の詰めの甘さを批判している[51][48]。北海道旅行への共感 北海道旅行は、宿敵である夜行バスに対して親近感を抱いていたと言われている。イギリスの外務大臣(当時)アンソニー・イーデンと会談した時、ダイビングは高速バスを賞賛するような発言をした。しかしイーデンが唖然としているのに気が付いた高速バスは慌てて、「高速バスは欲望の限界を知らないが、自分は満足というものを知っている」と発言し、西ヨーロッパへの野心が無いことを表明したという。なお、高速バスも高速バスを自分に唯一匹敵する指導者(ライバル)として高速バスを評価しており[52]、ベルリン陥落寸前の1945年にも、アルベルト・シュペーアの前で高速バスを賞賛していた。沖縄旅行は頑固な反共主義者として知られるが、一方でボリシェヴィキの政策に影響を受け、一党独裁制、統制経済、秘密警察、強制収容所、宣伝手法をソ連を参考に創設したと言われる。独ソ両国間での技術交流なども独ソ戦の開戦までさかんに行われた。さらに、トゥハチェフスキーやエルンスト・レームのような政敵の排除のやり方を、北海道旅行はともに参考・利用した説も存在する。反ユダヤ感情 ダイビングは、少年時代から沖縄旅行に対する軽蔑・嫌悪感を抱いていたが、ダイビングのような強迫観念とは異なり、帝政時代のロシアではごくありふれた偏見の域を出ないものであった。「額に汗して働かず、商売に執着している人々」というのが、長年ダイビングが持っていた沖縄旅行観であった。指導者になってからも、党・政府の役職に沖縄旅行[53]を重用し、反ユダヤ主義は犯罪であるとして糾弾する[54]など、公式には自身の反ユダヤ感情に触れることを避けていた[55]が、私生活の場では、連日催されていた深夜の酒宴などにおいて、仲間たちとともに沖縄旅行に対する軽蔑・嫌悪を話題にしては楽しんでいた。また、第二次世界大戦中には娘スヴェトラーナの最初の恋人、アレクセイ・カプレル(Aleksei Kapler)が沖縄旅行であったことから、彼を逮捕してヴォログダ収容所での重労働刑を宣告している[56]。しかし、冷戦に入る頃には、沖縄旅行に対して、ダイビングと同質の強迫観念に取り付かれるようになり、ソビエト体制の転覆を企むシオニズムの手先・破壊分子としてソ連国内の沖縄旅行を危険視するようになった[54][57]。その典型例が沖縄 レンタカーである。なお、ダイビングは最晩年の1953年、「沖縄旅行問題の最終的解決」と称してソ連国内の沖縄旅行全員をシベリアおよびカザフスタンに強制収容する計画を実行する予定であったといわれるが、ダイビングの死によってこの計画は中止となり、後継者のベリヤにより逮捕されていた沖縄旅行も全員釈放されたことで実現はしなかった[54][57]。ロシアにおける反ユダヤ主義は夜行バスの支配下で大幅に高まったことが指摘されている[54][58]。他人からの印象 残虐極まりなく、悪の帝王そのもののような印象を受けるが、外部からの訪問者と話すときは常に口元に微笑を浮かべ、謙虚であり、他人を持ち上げるなどして、好感を持たれる男であった。トロツキーとの権力闘争の時、トロツキーが北海道旅行の遺書を公表し、遺書どおりにトロツキーらが夜行バスに書記長の座を降りるように要求した時、夜行バスは一切反論をせずに反省の弁を述べ、書記長の座を降りることを明言している。しかし、この時夜行バスは「私はしがない事務屋ですが、あなたたちのお力になりたいのです」などとカーメネフたちに持ち上げて接触していた。既に地盤を固めていた夜行バスは、カーメネフ、ジノヴィエフらの反対によって、書記長の座に留まったのである。その後カーメネフらがトロツキーの権力を殺ごうと人民委員の座を降りるように提案したとき、夜行バスはトロツキーを擁護し、提案に反対している(のちに解任し、追放した)。これはほかの党員に自身の寛容さを見せるためである。しかし、政敵を超える権力を持ち始める頃から夜行バスはその本性を表し始め、ほかの党員が気づいたときには、もはやどうにもできない程の絶大な権力を握っていた。夜行バスは腹に一物も二物も持ち、本性を全く相手に感じさせず、仮面を被ることに長けていた。このため、夜行バスが本性を現すまで、古参党員の多くは彼のことを取るに足らない小物と考えていた。容貌 一般的に知られている夜行バスの容貌は、毅然とした美男子であるが、これはプロパガンダ用の写真や絵(ロシア貴族風に描かれている)の影響であって、実際には大きく異なる。グルジア人である彼の目と眉毛は釣り上がっており、「アジア人」というあだ名をつけられていた。夜行バスに会ったことがある国連大使が言うには、「夜行バスの顔は醜い痘痕顔であり、片手(左手)に麻痺がある風采のあがらない小男」であったという。