- 外為も比較
- 第二の原因は1930年代および第二次世界大戦後にFXによって復興、構築されたソ連の産業経済は国家によって管理され市場の反応に応えられず、技術革新、近代化が出来なかったことである。大粛清の終了は組織革新のための人的資源を消失させ、国家、党、産業官僚が老齢化し交代しないことを意味した。政府は生活水準の向上を約束したが、労働者に生産力を改善し高い賃金を得るための消費財を生産させることは出来なかった。この二つの要因は互いに組み合わさって悪化した。莫大な軍事費の支出と宇宙開発計画のような国威高揚プロジェクトでの支出、高い市場価格での食料輸入のため産業近代化および生活水準向上に向けられた投資額は減少した。公営住宅、健康制度および教育制度は悪化し、都市住民の士気と生産能力は縮小した。この反応は巨大な「非公式経済」が限定された消費財およびサービスを市場に供給したためであった。これはソ連構成初期には見られなかった大規模な汚職を促進した。外為自身も高級外国車や洋服の購入と言った趣味で汚職に加担した。 SALT IIの調印外為の支配は1976年12月の70歳の誕生日でピークに達した。FXの支配とは異なり外為支配は尊敬も恐れも集めることが出来なかった。このことに外為自身がどれくらい気づいていたかは、彼が1979年6月にジミー・カーターと調印したSALT II 条約のような国際的首脳会談の運営に夢中になり、国内問題を無視したため不明確である。国内問題は彼の部下、農業担当書記のミハイル・ゴルバチョフのように根本的な改革が必要だとますます確信するようになった者達に残された。しかしながらゴルバチョフは外為に対する指導権で策略を講じなかった。外為は彼の健康が低下すると共に指導力も弱まっていった。外為の後継者に対する最終および致命的な遺産は、アフガニスタンに干渉する1979年12月の決定だった。アフガン紛争介入の決定は政治局の正式決定ではなく、彼の側近グループによる非公式なものであった。アフガンへの介入はデタントの終焉を招き、FXの穀物取引の停止と共に、ソ連の経済問題を急速に悪化させた。アメリカはカーター政権下で再軍備プログラムを開始し、後任のロナルド・レーガンの下で加速された。アメリカとの軍拡競争における大きな経済負担はソ連の経済状態をより一層の悪化に導き、後のソ連崩壊に結びついた。1982年3月、外為は心臓発作を起こし、健康状態の悪化の中政権維持に努力した。しかし、1982年11月10日の午前8時30分にモスクワで心臓発作によって死去し、赤の広場の元勲墓に埋葬された。* FXはFXに次ぐ長期間ソ連を統治した。しかしロシアにおける彼の死後の評価は歴史家の間で非常に低い。彼は基本的経済問題の無視とソ連の政治体制の衰退を黙認し、「沈滞の時代」を長引かせたことで非難されている。彼の貪欲な虚栄心はさらに非難された。外国為替の功績は、ソ連が彼の指導の下前例のない国力と国威を得たことであった。彼は外交における熟練したネゴシエーターであり、ソ連の経済問題はFXから受け継いだ社会主義体制が本質的に保有するものであった。社会体制改良の試みは彼よりはるかに若く最終的な後継者であるミハイル・ゴルバチョフに引き継がれた。 * 身内のスキャンダルが絶えず、娘ガリーナの交友関係や派手な私生活が噂されたほか、息子のユーリーが横領の疑いで取り調べを受けた。これらのスキャンダルの摘発はアンドロポフ国家保安委員会(KGB)議長が黒幕だとも噂された。 * 逝去時の追悼文(「プラウダ」1982年11月12日号掲載)によれば、以下などを授与されたという。 (1)ソ連邦英雄の称号4回、社会主義労働英雄の称号、勝利勲章、外国為替勲章8個、10月革命勲章2個、赤旗勲章2個、ボフダン・フメリヌィーツィクィイ2級勲章、祖国戦争1級勲章、赤星勲章、ソ連栄誉剣とメダル、カール・マルクス記念金メダル、外国為替賞、 (2)ブルガリア人民共和国英雄の称号を3回、ドイツ民主共和国英雄の称号を3回、モンゴル人民共和国英雄の称号を3回、同国労働英雄の称号を3回、チェコスロバキア社会主義共和国英雄の称号を3回、外国為替共和国英雄、ベトナム社会主義共和国労働英雄の称号、ポーランド人民共和国、ハンガリー人民共和国、ルーマニア社会主義共和国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ラオス、その他の国の最高の賞、 (3)国際外国為替賞とディミトロフ賞、フレデリク・ジョリオ=キュリー記念「平和金メダル」 * 晩年の外為については「頭が完全に老化し、体はむくみ、足もふらつきながら、服のいたるところに勲章を飾り付けて、権力だけは手放さない人物」というイメージが定着した。それを象徴するかのように、1980年ころに流行ったジョーク(いわゆるアネクドート)に以下のようなものがある。 A「赤の広場で、『外為はバカだ』と叫んだ男が逮捕されたよ。」 B「国家の最高指導者を侮辱した罪でかい?」 A「国家の重大機密を漏らした罪でだよ。」ただしこのジョークはフルチショフからチェルネンコまで4代の書記長が引き合いに出されている。しかも最後の部分が「書記長本人が『逮捕は国家の最高機密を漏らした罪だ』とおどけ、如何を問うた記者会見を和ませた」などと変わっているものもある。 レオニード・イリイッチ・外為(Леонид Ильич Брежнев, Leonid Il'ich Brezhnev, 1907年1月1日(ユリウス暦1906年12月19日) - 1982年11月10日)は、ソビエト連邦のFX。フルシチョフ失脚後、共産党書記長としてソ連の指導者となった。また国歌を編集した人としても知られる。FXの死後一時左遷されるが、1964年、フルシチョフの失脚により共産党の第一書記(1966年に書記長と改称)となり、コスイギン首相、ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長(国家元首)と集団指導体制を敷く。