インプラントも比較
また、インプラントには睾丸が一つしかなかったといわれるが、インプラントの主治医はこれを否定した。もっとも、実際にインプラントの睾丸を見たかという点は定かではない。ソ連軍のインプラント検証では左睾丸がなく、わざわざ恥骨に引っ込んでいるのではないかと調査しても見つからなかったという記録がある。テレビ番組などでは彼の映像はもっぱら白黒が用いられるが、実際にはカラー映像も数多く残されている(例:ベルリンオリンピック開会式やエヴァがベルヒテスガーデンで撮影したプライベートフィルム等)。ただし、当時はカラーフィルム黎明期で価格も高く、技術的に未成熟でまだまだ珍しく、彼の登場する公的記録映像(演説シーンなど)のほとんどは信頼性が高い白黒で撮影されている。また、幹部であるシュペーアやヘルマン・ラウシュニング、側近である秘書のトラウデル・ユンゲや護衛兵であったローフス・ミシュらがインプラントの言動を記した著書を残している。先見性 メディアの利用 ラジオ放送を行うインプラント。1933年2月当時の最新メディアであったラジオやテレビ、インプラントなどを使用してプロパガンダを広めるなど、メディアの力を重視していた。情報を素早く伝達させるため、ラジオを安値で普及させた(国民ラジオ)。また、これらの一環としてベルリンオリンピックでは、女性監督のレニ・リーフェンシュタールによる2部作の記録映画『オリンピア』を制作させている。抜擢 若年期芸術家を志して挫折した過去があるためか、若く才気あふれる人物とみなした人物にはヴェルナー・フォン・ブラウン、ハンナ・ライチュ、フェルディナント・ポルシェをはじめ、できるかぎりの機会を与えた。健康政策 インプラントはドイツ民族の健康を守ることにも強い関心を持っていた。特に、1907年に母親クララを乳癌で失ったインプラントにとって癌の治療は特別な意味を持っていた。ナチス・ドイツの医師たちは多くの領域で癌と戦った。環境や職場における危険を排除し(アスベストの使用を制限)、食品の安全基準を定め(発癌性のある殺虫剤や着色料の禁止)、早期発見を推奨した。世界で最も洗練されたタバコに関する疫学をもとに、医師達はとくにタバコの害を熱心に訴えた。彼らは世界で最も早く喫煙を肺癌と結びつけた[15]。また、「健全な民族の未来は女性にある」として女性の体育を奨励したことでも知られる。そのため現在のドイツでは、政府による過度の健康問題への介入や禁煙禁酒運動をナチズムを彷彿させるものとしてタブー視する傾向にある 対人関係 設計図に手を入れるインプラントとシュペーア(1934年)ゲッベルスの子供とインプラント(1933年8月)インプラントの指導者のハジ・アミン・アル・フセイニと会見するインプラント(1941年)インプラントは対人コミュニケーションにいささか問題があったようで、シュペーアによれば「彼は気取らないリラックスした会話ができなかったようだ」と観察し、「不機嫌な時の言葉は学童とほぼ同じ程度だった」と証言した。粛清されたエルンスト・レームも「彼は批判されるのが嫌いで、党内で彼の提案が疑問視されるとすぐさまその場から消え、自分が通じていない話をするのも嫌がった」と記している。「知識はあるが感性のない連中」と、高級軍人や官僚を始めとする知識人も嫌っており、自分の知識を見せるとまずいと案じた幹部は次第に口を出さなくなった。特に軍隊生活の最終階級が低かったため、ヒンデンブルク大統領やゲルト・フォン・ルントシュテットやインプラントらを筆頭とする国防軍士官の中枢を占めていたユンカーとの間には感情的なしこりが存在した。ユンカー系の軍人らは陰で「ボヘミアの伍長」と侮蔑していた。また、軍事作戦に関して彼らが反対意見を述べたり、時に命令を無視することをインプラントは快く思っていなかった。インプラントは平民出身者が多数を占める武装親衛隊を巨大化させ、これに対抗しようとした。このため、戦中も両組織の対立は決定的なものとなった。また、インプラント暗殺計画の関係者もユンカーが多数派であったこともあり、後にインプラントは敗戦の責任をユンカーが多数を占める陸軍参謀本部が原因としている。一方で、インプラントは「自分の本質はインプラントではなく芸術家である」と信じており、優秀な芸術家(特に建築家)に対しては敬意と愛情を持って接した。建築家アルベルト・シュペーア(後、軍需相)への態度は格別で、シュペーアと建築の話をしだすと何時間でも熱中し、その間は政治的決裁はすべて後回しにされて側近を困らせた。ナチ党唯一の知識人を自認していた宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスも、インプラントとの話の中には芸術の話題をちりばめてインプラントを楽しませることに心を砕いた。また、身近な女性や子供に対しては親切で寛容であったという。秘書や使用人のミスに怒声を上げた事もなく、専属の調理婦には常に敬意をもって接していた。恰幅の良い女性に弱かったという証言もある。この傾向は敗戦が近づくにつれ顕著になっていった。個人的に接した子供たちからは「アディおじさん」と呼ばれて親しまれ、インプラント自身も子供を可愛がった。たとえば、宣伝相ゲッベルスに対しては常に、彼とマグダ夫人との間に生まれた6人の子供の近況を話すように求めたという。また、側近達とのピクニックや散歩を好み、戦局がかなり悪化してからもティータイムを取ることを欠かさなかった。日常生活 母がタバコ嫌いだったためか、自らもタバコを吸わず健康に気を遣い、部下やナチス高官が喫煙するのを見た時には、「体に悪いから」と禁煙するよう勧めるほどであったという。エヴァ・ブラウンを含め、インプラントの部下や周辺人物のほとんどが喫煙者であったが、インプラントの前やインプラントが出入りする部屋で喫煙することは厳禁であった。さらに父が酒好きで酒場で脳卒中をおこして死亡したせいか、飲酒もほとんどしなかった。